ゆりいかオラオラ

togetterに自分の発言が載っっちゃったんで補足や精査して思ったことを書いとこうと思う。

実況や配信は作品たりえるのかについて。文学少女の炎上 - Togetter


基本的にTwitterなので言葉足らずに真意やネタ、マジレスの混じったよくわからないツイートをすることが多いので、そのままの意で考えたらRTされていた
 

”やらないやつが批評したらあかんのかって批判”

になるのだが、今回のやりとりされている内容としては
引用すると

僕は今、二重の問題に両バサミになっていて、つまり、「ゲーム実況」「アーカイブ」は作品だと、評価しようとすると「いや、違うだろ」と言われ、では「ゲーム実況」や「アーカイブ」から別の表現形態にして作品に昇華すべきだと言うと、「配信だって作品だろ」と言われる

「ゲーム実況」や「生配信」が作品だって言うなら、それを説得させるだけの言葉を紡がねばならず、「ゲーム実況」や「生配信」は表現を生み出す土壌だと言うなら、それを証明するような作品を生み出さなければならず、どっちも全然上手くいってないじゃんって突っ込まれたら、もう終わりだよね


これを言っているのがゆりいかなのだが、配信をしている端くれからすると
配信はそんな高嶺で高貴な拝められる作品でもないし、ぶっちゃけると実況者や配信者というのは自己主張の強いいわゆるかまってちゃんなのでないかと思っている。8割くらい。

それは自分を前面に出して自分はこういう人間だ!見てくれ!という一つのコンテンツ、作品という言い方をできるかもしれないが、そんなマシなもんでないと思っている。


つまりなにが言いたいかというとこのゆりいかはその自己主張を作品に昇華させたり、視聴者にはそれを批評して作品として見て欲しいという願望があるようだ。


本人自身も言っているように、それはいいことだ、やれるならやろう派閥と、そんなことしなくていいこのままいこう派閥があるようで。

実際自分はというとどちらかといえば革新派。面白いやつはもっと評価されるべきだし、ビュワーという形でもいいので注目されるべきだと思っている。

しかしこの、評価されるために配信以外のことをやれってのはめんどうくさい。実際。
配信は趣味と捉えてる人は大多数だと思うし、それを生活を犠牲にして生産するまでの気力はないであろう。



結論から言うと自分のツイート内容に集約され、人に言うな自分でやれ。言葉に重みを持たせろ

というなんとも無責任な発言になるのだが、ゆりいかにはこれくらいが丁度いいのではないかと思う。